【築地魚河岸】マスク【マスコットキャラクター】

【築地魚河岸】マスク【マスコットキャラクター】

-記事の投稿日:2024年10月31日-

◆【築地魚河岸】マスク【マスコットキャラクター】

画像の日時:2020年12月09日11:34分頃~
場所:東京都中央区築地4丁目及び6丁目一部「築地魚河岸」小田原橋棟
説明:築地魚河岸を訪問していたら、マスクをしたマスコットキャラクターがいた。印象的だったので記録してみることにした。
公式キャラクター:築地魚河岸のシールが貼ってあるが、公式キャラクターではないらしい。
そういえば:そういえば、あの緊急事態宣言が出された時から4年もの時間が経つのだった。時間というものはあっという間だと思った。トイレットペーパーやマスク、消毒アルコールなどの買い付け騒ぎ、自粛警察、ステイホーム、クラスター、接種証明書などなど時代を象徴するような流行語!?がいくつも思い出される。皆さんは、どんな言葉が思い出されるでしょう。当時は何をして過ごしていましたか。もう、4年も前の出来事ですから、その当時の思い出も薄れてきている頃でしょうか。

【築地魚河岸】マスク【マスコットキャラクター】
いつも通り買いやすい時間帯を歩いていたら、なんとマスクをしたキャラクターが。思わず時間が停止してしまう私。

【築地魚河岸】マスク【マスコットキャラクター】
よくよく見ると、トラフグに跨る忍者だった。眼光鋭く手裏剣を手にしていた。両者とも白いマスクをしっかりと着けていた。

【築地魚河岸】マスク【マスコットキャラクター】
トラフグちゃんのつぶらな瞳。メッセージ性のある表情。

【築地魚河岸】マスク【マスコットキャラクター】
人工的な人形に過ぎないのに、それらから感情を感じ取ろうとするニンゲンの心とは一体。

【築地魚河岸】マスク【マスコットキャラクター】
トラフグに乗る忍者のタンデム姿。トラフグのマスクのストラップは胸鰭を通過して、忍者の足にかけられているのは両者の一体感を示しているのだろうか。それとも一般人には到底考えの及ばない築地人(つきじびと)たちにしか理解できない魚類達との本当の意味でのタンデムなどがあるのであろうか、なかろうか。

波除神社(なみよけじんじゃ)の鳥居。銀杏が黄葉している。はじめて迎える緊急事態宣言の師走。

銀杏の落葉を浴びながらふと見上げると、海幸橋(かいこうばし)の親柱(おやばしら)が目に飛び込んできた。1927年(昭和2年)竣工の海幸橋の親柱だ。親柱とは、橋の転落防止用の柵の続きとして設けられるもので、その柵より大きな柱のこと。2024年現在では築97年になる。遺構として残しておくとは粋な計らいだと思った。

海幸橋の親柱(かいこうばしのおやばしら)。
真下から見上げてみた。まるで灯籠のような雰囲気に見える。時代が約100年前なので、明かりというと拡散版のかわりである擦りガラスを使用するからこういったデザインなのであろうか。現代ではリフレクターを使用したり、大光量のLEDをちりばめたりするのでデザインの自由度は高いのであろうか。

海幸橋の親柱(かいこうばしのおやばしら)。
溶接したのであろうか。凄く頑丈そうなつくりだ。パソコンで線を引いたようにキレイな直線曲線ではないが、何か美しさを感じる。

海幸橋の親柱(かいこうばしのおやばしら)。
今ではあまり見かけないようなレトロな雰囲気がまた良い。金属の表面のザラツキも良い味を出している。

海幸橋の親柱(かいこうばしのおやばしら)。
造りが頑丈そのもで頼もしさを感じた。塗装も施されておりメンテナンスも定期的に行われている様子が窺える。

海幸橋の親柱(かいこうばしのおやばしら)。
画面の右奥にも同様の親柱が見える。2024年現在は奥の衝立が外されて、時間貸しパーキングになっている。築地に訪れた際は、約100年前の遺構の見学を是非おすすめしたい。

◆海幸橋◆
・当時は築地川東支川(つきじがわひがししせん)が波除神社と市場との間に存在していた。海幸橋は築地場内へと入るゲート橋であった。架橋の由来は、関東大震災(1923年/大正12年)で被災した日本橋魚市場が築地に移転するのに先立ち1927年/昭和2年に完成した橋。関東大震災の復興事業で創架された近代橋梁のひとつ。
◆海幸橋の親柱のデザイン◆
・2種類存在する
①鉄鋼製
②御影石製
・鉄鋼製はアムステルダム派のデザイン
・鋼鉄製の親柱は有機的な曲線で構成される国内でも珍しいデザイン
・御影石製は角柱を面取りした面を正面に配置したデザイン
・点対象に配置:向かって左側に鋼鉄製親柱、向かって右側に御影石製親柱を配置。市場に入るのも出るのも同じように見える点対象となる配置になっている。
出典:中央区役所教育委員会事務局図書文化財課郷土資料課さんのサイトより

◆関東大震災
・2023年で関東大震災発生から100年が経過
・防災の日が9月1日に定められているのは関東大震災の発生日が近代日本の災害対策の出発点となっているため
当時の復興大臣(帝都復興院総裁)には後藤新平という慧眼と実行力の持ち主が就任しました
・後藤新平(ごとうしんぺい)は、東京の基礎をつくった人物として名が知られています。後藤新平は台湾の都市改造で手腕を発揮したことでも非常に有名です
・当時の社会状況で未来の都市の在り方やクルマ社会の到来が見えていた天才官僚たちの頭の中はどうなっているのだろうと、いつも思ってしまいます。現代の慧眼の持ち主たちも、きっと一般人とはかけ離れた未来像が見えているのだろうな。と愚考してしまいます。

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